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共有・懲戒処分2

2023/1/23 月曜日

「共有」とは何か?これがこの頁のテーマである。
共有とは民法249条以下に規定あるが、要は物や権利の共同所有である。
パソコンなどでファイルの共有などということもあるが、厳密にはこれは共同利用というべきではないだろうか。
物で考えるとわかりやすい。2人でお金を出し合って自動車を購入したとする。この場合に当該自動車はこの2人の共有となる。所有割合を決める必要があるが、通常は購入資金の拠出割合などで決めるだろう。折半した場合であれば各々50%となる。これを民法では持分といい、通常は分数で表記する。

注意したいのは、土地を持分2分の1ずつで共有している場合に、各共有者は土地の半分を使用できるのではなく、どちらの共有者も土地の全部を使用することができるということだ。民法初学者は戸惑うかもしれないが、共有とは共有者全員が共有物を使用することができる。どちらかが使用していればもう一方はまったく使用できなくなるので、使用方法は共有者間で定めなければならない。この定めがなければどの共有者でも全面的に使用することができ、他の共有者がこれをやめさせたり、自己へ引き渡すことを請求するることはできない。有名な最判昭63年5月20日である。共有者は全面的に使用できるからである。もっとも、この場合に使用ができない他の共有者は使用を独占している共有者に使用料相当額の金銭の支払いを請求することができる。

共有状態はその使用管理方法を共有者間で定めなければならず、あまりオススメできる状態ではない。共同出資により物を買うような場合でもない限り、早急に解消するべきであろう。売却して代金を持分に応じて分けるか、どちらか一方が他方の持分を買い取るなどの方法をとるべきである。これを共有物分割という。

さて、このようにできるだけ避けるべきである共有だが、意図せず共有状態となる典型例として、遺産共有がある。とある不動産所有者が死亡し、その子2名が相続したときは、当該不動産は相続人2名が持分2分の1ずつの割合で共有したことになる。この共有状態を解消する方法が遺産分割である。

講学上、共有が3分類されることがある。これも民法初学者を混乱させるものである。
狭義の共有、合有、総有の3種類である。
共有というものを難しく定義するから、これら3つの分類も分かりにくくなっている。
狭義の共有とはいわゆる普通の共有であり、その特徴として各共有者には持分があり、共有の解消は共有物分割による。
合有とは狭義の共有とほとんどかわるところはなく、その特徴として各共有者には持分があるが、その解消方法が共有物分割ではない。解消方法が限定されていることから、狭義の共有と比べて、各共有者の結びつきが強いと評価されている。
合有の代表が遺産共有であるとする説があるようだ。
共有状態の解消方法が共有物分割なのか、遺産分割なのかの違い(裁判手続は前者h地方裁判所が管轄し、後者は家庭裁判所が管轄する)程度であり、実際はほとんど差異はない。なので、遺産共有は合有ではない、とする説もある。
この他に合有とされるのは組合の場合といわれている。これは長くなるので割愛。

総有とは狭義の共有の極地にある形態であり、特徴として各共有者に数字で表せる持分がなく(逆にいえば、数字で表すができない持分はあるともいえる)、各共有持分を処分することはできないし、共有状態の解消をすることもできないといわれている。なんじゃそりゃ?と思うかもしれないが、代表的なものには入会権と権利能力なき社団の財産保有があるといわれている。

入会権とは村落などが山林などを所有し、村落の構成員が伐採、採取などを共同利用する慣習的な権利といわれている。さらになんじゃそりゃ?と思うかもしれない。
具体例で考えてみよう。時は江戸時代以前。とある地方にA村があった。A村はX山の麓にあり、村人は自由にX山に入り、薪を拾ったり、採草をしている。この山の持主はだれでもなく、村のものである。(封建時代では誰が所有ということ自体問題にはなりにくいかもしれないが)X山の管理は村人全員で行い、特定の村人だけが利用できるものではない。昔話などでよく見かける光景であろう。この状態を村人全員がX山を総有していると評価できる。村人一人一人が共有していたとしても、各自に数字で表せる持分はないし、共有物分割をして、誰か一人の所有とすることや第三者に売却して代金を村人で山分けということもない。(こんなことをしてはX山からの恵に依拠しているA村にとっては意味がない)これを入会(いりあい)といい、この場合のX山を入会地などといったりする。
明治に入り、民法制定の際に各地の入会の実体を調査したうえで、入会権という権利を規定しようとしたようだが、各地であまりにいろいろな入会の形式があり、全国一律の法制化を断念し、入会については各地の慣習による旨の規定を置いたのみである。

権利能力なき社団とは詳細は省くが、権利の主体とはなれないので、財産を所有(不動産登記名義人となることや預金口座を開設すること)することができない人の集団である。
同窓会やサークルなどが典型である。同窓会やサークルでもイベントのために構成員からお金を集めることはあるだろう。しかし「●●同窓会名義」の預金口座は開設できない。この場合は便宜代表者名義の口座を開設するしかない。不動産を所有することもできないので、代表者名義の所有権登記とすることになるが、この場合でも各構成員には数字で表すことはできない持分があるといえる。

入会は権利能力なき社団であるという考えもあるらしいが、講学上はややこしくなるのでここでは深くは触れない。

各共有者間の結びつきが強ければ強いほど「個」は弱くなる。=数字で表せる持分がない
各共有者間の結びつきが強ければ強いほどその解消方法が制限されてくる
各共有者間の結びつきの強弱は共有している理由次第である。入会は性質上共有せざるを得ない。遺産共有は意図して共有したわけではない。たまたま共有状態になってしまっただけである。狭義の共有はケースバイケースであろうが、共有にしたくて共有にしているわけではなく、資金提供割合等でたまたま共有状態になっているケースが多いであろう。

このあたりをおさえておけば共有の3分類は理解できるだろう。ただ、論者によっては区分や定義が異なるので、資格試験などでは問われにくいであろう。

ところで、入会地の所有権の登記≒入会権の登記はどのようになされるのだろうか。入会は権利能力なき社団の一種と考え、代表者個人を所有権登記名義人とするかあるいは共有状態ということを考慮して共有者(構成員といった方がいいかもしれない。A村の村員全員である)全員を所有権登記名義人とするしかない。
入会は持分すら観念することができない共有状態なので、各人に持分を振り分けて登記すること自体がオカシイのだが、入会権は明治期の調査であまりにいろいろな形態がありすぎて一律に法制化することを断念したため入会権の登記というものも法制化することができず、やむを得ずにこのような登記とするしかないようだ。
ここで入会を権利能力なき社団と考え、当該社団名義の登記ができれば問題ないのだが、権利能力なき社団名義で登記することはできない。

かくして実体とはかなり乖離した形での登記とせざるをえないのである。
実体は村人全員による総有、形式は村人のうちの誰か一人の単独所有または村人全員が持分を有する形での共有、ということである。
入会自体は私有財産という概念自体がない近代以前の慣習なので時代が減るにつれて姿を消しつつあるので、あまり深刻な問題とならないハズである。

ところが令和の時代になっても入会は存在していて、これの登記申請について1つの問題が起きたようである。次の頁では入会の登記申請を受任した司法書士の懲戒処分について紹介する。

では。